転勤族暮らしは子供にも負担ををかける。子供自身にも人間関係がある上、大きくなるにつれて習い事や進学などの心配事も出てきます。でも、そんな「一般的な転勤族の悩み」とは少し異なる「サポートが必要な子供と、転勤族暮らしのバランス」に悩む我が家のことを書いてみたいと思います。
発達障害や吃音症。子どもが何らかのサポートを必要とするかもしれない…。そんな悩みが、転勤族暮らしの中で我が家の大きな課題でした。
Contents
発達障害?悩んだ1歳~幼稚園までの生育歴
まずは我が子の生育歴から…、なのですが、うちの子は3歳になるまであまり言葉を発しませんでした。一歳半健診、三歳児健診、どれも基本的には「引っかかる」生育歴。発語が少ないだけではなく、「鬼のように多動」だったこともあり、発達相談に行ったりする子だったんです。
簡単に言うと「何らかの発達障害の疑いあり」。生まれた地域では、一応サポートの対象ということで、おやこ教室の案内を受け取ったり、定期的に保健師さんから電話がかかってきたり、というポジションの子供でした。
はじめての引っ越しと、子供のサポート
そんな我が家が転勤になったのは、子が2歳のとき。「言葉がまだ出なくて」という相談をしながら通っていたプレ幼稚園とのつながりもそこで終了。次の地域では幼稚園にちゃんと入れるかな?もしも必要になったとき、サポートは受けられるかな?という不安とともに引っ越しました。引っ越し先は、群馬県高崎市。
ただ、この引っ越しは我が家にとっては良いものでした。引っ越し先でも発達相談を申し込むとすぐに数週間後に予約が取れ、幼稚園の申込みも(ひとことも発さないながらも)なんとか面談パス。発達支援センター(的なところ)から幼稚園にも連絡を入れますね、と連携を取ってくれて、とても安心できる、落ち着いた環境で親子ともに過ごせました。
一応、発達検査をしたところ、まぁ明るめのグレーゾーンというか、経過を見る必要はあるけれども大丈夫でしょう、というところでした。その後、3歳になった子どもは幼稚園に入園。同じ年の子との幼稚園ライフは楽しかったらしく、爆発的にしゃべるようになり、一安心!…という感じでした。
そして、4歳で再びお引っ越し
そして、発達障害の疑いもちょっと落ち着いて、相変わらず多動気味ではあるもののコミュニケーションは取れるし元気に育ってくれていて、親子で楽しく幼稚園ライフを送っていたところ、その後4歳でふたたびお引っ越しとなりました。
行った先は、神奈川県横浜市。この頃に気になっていたのはまた別のこと。それが「構音障害」と「吃音症」。どうも、話す言葉が不明瞭で、かつ、どもることもあるので気になっていたところ、横浜に引っ越してから幼稚園の先生に相談してみると、一度言語教室に相談に行ったほうがいい、と言われました。先生も気になっていたそうで。
そこで支援センターなるものに問い合わせてみたのですが、まず、相談まで数ヶ月間の待ち。さらに、言語教室は空き次第なので通えるかどうかは分からない。ということでした。結局、相談してから半年くらい経って、支援センターでの相談と言語教室の指導を受けられることになりました。
横浜のサポート環境
我が子の成長は確かに個性的ではありましたが、サポート体制ってこんなに市によって違うのか、と思ったのは横浜に引っ越してから。子供の数が(というか人口が?)多すぎるのかもしれません。ちょっとした相談でも何もかも「待ち」が多くて、なかなかスムーズにとはいきませんでした。
また、小学校に上がってからも、言語通級の利用は年度途中だと難しかったり、その判定を受けるまで半年待ちだったり。また、言語通級の利用は小学校を絶対に休んで行かなくてはならなかったり。なかなか、他の地域で聞いていたサポート体制と違うな…、というのが、横浜に対する感想です。
どうして、地域によってサポート体制が違うんだろう
さて、そんな生育歴の子供と一緒に転勤暮らしをしてきて、やはり思うことといえば、「どうしてこんなに地域によってサポート体制が違うんだろう」ということ。
横浜は、サポートが充実しているとは言いづらく、どうしてこんな風なの、と何度も思いました。他の地域を知らなければ、こんなに葛藤することもなかったのに。。という気持ちもあり、転勤という制度にも、横浜という地域にも、消しきれないわだかまりを持って過ごしてきました。
これまで住んできた地域と正しく比べることはできないものです。もしかしたら、今まで住んできた地域も小学生のサポートは貧弱かもしれない。場合によっては発達相談を待つこともあるかもしれない。もっと別の壁があるかもしれない。
それでも、横浜で感じた「何度も何度も壁にぶつかってしまう」「待ち、待ち、そして待ち」の感覚は他では感じたことのないものです。望んでここに住んでいるなら我慢できるかもしれない。でも、否応なしに転勤で決まった土地で、どうして今までの環境もリセットされて、受けられていたサポートからも切り離されて、こんな困難ばっかりあるんだろう。
そして、その困難を感じている「待ち時間」の間にも子どもは成長していく。その中で、本当は支援を受けていたらこうはならなかったのに、ということが出てきてしまったらどうしよう。そんな理不尽さを感じることが多くありました。
吃音症と向き合った小学2年生からのこと
それでも、一歩ずつ進めばなんとか進めるもので、横浜の流れにも慣れて、少しずつ環境を作ってきました。そんな中で、子どもが2年生のころから大きな悩みとなったのが吃音症のことです。
吃音がひどくなった2年生の夏
我が子の場合、2年生の夏に吃音症がかなりひどくなり、すぐに言語教室(横浜市では通級指導教室といいます)に申し込もうと思ったところ、年度途中では通えず(年度始まりからじゃないとスタートできない制度)
そんな状態だったのですが、実際に吃音でしゃべることすら難しくなっていて、授業で出てくる音読もなかなか難しくて、お友達からからかわれることもあり。そこで、言語教室には通えずとも、学校のカウンセラーさんに相談したり担任の先生に相談したり、できることを探しながらやってきました。
吃音症って、環境調整が大事と言われるんですね。つまりは、どもりながらでも話せる環境があること、その環境を作ることが大事。ひとつひとつ、子供と相談しながら進みました。仲のいいお友達やママさんたちには、子供の持っている困り感、どうしてもどもってしまうことを話して、理解してもらえるように努めました。
からかいも起こってきたので、先生に相談して、クラスのみんなの前で「どもってしまうことがあるけれど、わざとじゃないから少し待ってあげて」「からかわずに見守ってください」ということを学級会で伝えてもらうことに。すごく本人にも勇気が必要だったと思いますが、こんなカミングアウトを経て、子どもにとっては学校が安心して通える場所になったようです。
言語教室に通い始めた3年生の春
そして、3年生の年度始まりからは、言語教室にも通えることになりました。吃音って、ある程度の年までに自然に消えなければ、その後は残念ながら「治るものではない」というのが定説だったりします。良くなったり悪くなったりしながらも、うまく付き合っていくもの。
3年生から通いはじめた言語教室では、吃音がどんなものであるのか子どもが正しく理解するとともに、その向き合い方を見守ってくれるような場です。同じ吃音の子どうしでグループ学習をする機会があったり、言葉が詰まったときにどう対応したらいいかアドバイスをもらったり、つまりは「吃音と共存する」引き出しを増やしてくれるような場所。通ってみて良かったな、と思っています。
次の転勤が怖い、今
小学校2年生がどんな思いでカミングアウトして乗り越えてきたか、どれだけたくさんの人に支えてもらって今があるのか。それを考えたときに、どうしても理不尽だと思うのが、転勤という制度。
今、吃音で困ったときに相談できる環境がありますし、子どもが話すときにつっかえても、待ってくれるお友達がいる。でも、こんなに環境作りをしてきても、たとえば「転勤です」と会社に一方的に決められてしまえば、この環境はリセットになるのか、と思うと怖いです。
時間をかけてつくってきた子供同士の関係、助けてくれたママ友との関係、たとえ全部じゃなくてもカミングアウトによって分かってくれた子たち、担任の先生やカウンセラーさんとの関係性、これらすべてを別の地域でもう一度1からやれと?そんなことをなんの権利があって言うのか、と。
それなら単身赴任も視野に入れるべきなのかもしれませんが、まだ子どもが小さな時期に、それこそなんの権利があって家族別々に住めというのか?と。とても理不尽に思ってしまうんです。そして、次の転勤がただ怖い。
何の権利があって転勤を決められるのか
転勤制度はもともと理不尽なものだと思いますが、年々、どうしてこんなことがまかり通るのか。という気持ちが増えていきます。それは、転勤族の妻も子も人間で、子どもは育つほどに子どもの社会を持つから。もう「転勤です1ヶ月後にはお引っ越し」が通る年ではなくなったのだな、と我が家の場合、思うのです。
おそらくこうした気持ちになるのがまさに「転勤族が定住を決意するとき」なのかもしれません。でも、でも。願わくば、本当に納得感があって、好きな土地で定住を決めたかったな…(実際、まだ定住を決めてはいないのですが)とどうしても思います。
なんだかあまり救いのない話ですが(笑)これが我が家のリアル。結婚も11年目になり、結婚当初よりは「転勤制度、おかしくない?」なんて世論も醸成されてきたように思います。このまま少しずつ、どうか。転勤という制度じたいが人道的な方向に変わっていってほしいな、と願ってやみません。